先月末から薩摩川内市で行われた高校総体バスケットボール。そこに宮崎県の名門高校・延岡学園を率いて凱旋した、鹿児島出身の新米監督がいました。延岡学園は過去6回全国優勝を果たすも、ある不祥事により揺れていました。「チームの再建」、そして「勝利が絶対」。2つの難題に挑む若き監督の奮闘を追いました。
名門の延岡学園を率いる、鹿児島出身の24歳監督
薩摩川内市のサンアリーナせんだいで開催された高校総体バスケットボール。全国優勝6回の名門中の名門・延岡学園を去年から率いているのは、鹿児島出身の楠元龍水監督、24歳。故郷での凱旋試合となります。
楠元監督は1994年鹿児島市に生まれました。小学校5年生でバスケットボールを始め、清水中学校で全国準優勝。高校は香川県の強豪・尽誠学園に進み、現NBAプレーヤー・渡邊雄太と同級生。高校でも全国準優勝を果たしました。その後、指導者となるために京都の教育大学へ進学し、去年延岡学園の監督に抜擢されました。
不祥事に揺れたチームの再建
しかし延岡学園バスケットボール部にはある不祥事で揺れていました。去年、6月全九州総合体育大会で延岡学園の留学生が突然審判の顔面を殴打する事件があったのです。殴られた審判は10針を縫う大けがを負い、その留学生は退部、監督は解任になりました。インターハイ出場資格もはく奪され、対外試合3カ月禁止という厳しい処分が下されました。
留学生は言葉が通じず、チームのコミュニケーション不足が一つの原因でした。解任された監督は清水中時代の恩師。その恩師にチームの再建を託される形で、延岡学園の監督を任されることになりました。
楠元監督に託された使命
彼に託された使命は二つ。『勝利が絶対』『チームの再建』。そこで楠元監督が掲げたテーマは『チーム』。それまでバラバラだったチームに一体感を生むために、楠元監督はAチーム、Bチームに分かれていた練習を合同にし、遠征をすべてのメンバーが帯同するようにしました。またコミュニケーションが苦手な留学生とは、スタバミーティングと題し、体育館の外で気軽に話ができる環境を作りました。
一見ひとつにまとまっているチームですが、生徒に言えない悩みがありました。
「指導者としてまだ確立されていない、手探り状態でやっている」
教えることの難しさ、強豪校ゆえの重圧が楠元監督にのしかかります。
インターハイの10日前、楠元監督の元同級生のNBAプレーヤー・渡邊雄太選手が延岡を訪れていました。渡邊選手からアドバイスを受けた楠元監督、「選手だけではなく自分も変わらなければならない」と腹をくくり、誰よりも率先して声を出し、チームを鼓舞すると心に決めました。
インターハイ3日目
延岡学園は2回戦を突破し、大会3日目を迎えました。勝てばベスト8確定の大事な試合です。相手は神奈川県の桐光学園。試合は両者譲らぬ展開が続き、思い通りにいかない試合にいら立ちを隠せない留学生選手のフランシスを楠元監督がなだめます。延岡学園はわずか1点のリードで前半終了。
そして後半、チームの中心・フランシスが捻挫。絶体絶命のピンチとなりました。逆転を許し、点差は5点。すると選手達から自然とチームを鼓舞する声が聞こえました。楠元監督の想いは伝わっていました。
控えメンバーが必死に試合をつなぎます。そして勝負の第4クォーターでフランシスが再びコートに。痛い足を我慢し得点を重ねます。チームは一つになっていました。3回戦は69-61で延岡学園の勝利で終わりました。
捻挫でフランシスを欠いた延岡学園は残念ながらベスト4進出にはなりませんでしたが、生徒も楠元監督も大きく成長できたインターハイでした。