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月~金曜日 ひる2時50分放送

8月14日(金)傑作選「始めの一歩」

笠利の歌うたい 村山辰浩~始まりの季節~

笠利の歌うたい 村山辰浩さん
去年7月オープンした笠利町初のライブハウスの厨房に、村山辰浩さんはいました。去年活動を休止した2人組ユニット「カサリンチュ」、そのメインボーカルが辰浩さんです。「笠利の人」を意味する中学・高校の同級生ユニットは2010年メジャーデビュー。映画やアニメ、国民文化祭のテーマソングを手がけるなど数々の曲を世に送り出してきました。黙々と仕事に打ち込む辰浩さん、慣れない料理に、接客の日々です。

カサリンチュ 休止の理由
「元々タイプが違うんですよね、相方と僕って。ちょっとした意識の違いとかも実は最初からずっとあって。幼なじみのような相方なのでタイミングがきたら一緒にやれたらいいかなって思ってる」
多忙だった毎日、いつしか自分の音楽を見失いかけていました。そんな時、一緒に働かないかと声をかけてくれてくれた人が、オーナーです。
故郷で過ごす時間。ゆっくりとではありますが曲作りは続けてきました。

思い出の場所 屋仁小学校
辰浩さんに思い出の場所を案内してもらいました。母校・屋仁小学校です。
「茶圓先生っていうすごい音楽が好きでギターを弾いて皆で歌う先生がいた。歌うことの楽しさを教わった先生です」
歌うことが好きだった体育館へ。

恩師・茶圓先生からのメッセージ
「辰浩の家は民宿してたんで、当時そこにしばらく泊まらせてもらっていて。校歌教えてくれっていって。そん時歌った辰浩の声がすごく伸びるのにびっくりしたんですね。透き通った伸びのある声で。
一回きりの人生だから自分がやりたいことを、後悔のないようにやれる時やれるだけやった方がいいと私は思います。また元気で会おうや」
「この体育館に響き渡るように歌ってたんだろうなと。歌の原点がここにあると思います」

原点に帰ることは、決して後退することではない。その人は、まっすぐ前を見つめています。村山辰浩、38歳、原点からのスタートです。

25歳が伝える戦争~新人学芸員の挑戦~

羽場恵理子さん、25歳。2020年春、埼玉県川越市から南九州市へ移り住んできました。これまで学んできた日本近代史の知識が評価され、知覧特攻平和会館の学芸員として採用されたのです。
初の出勤日。早速、先輩学芸員に館内を案内してもらうことになりました。知覧特攻平和会館は主に陸軍の沖縄特攻作戦に関する歴史を伝えてきた施設。特攻隊員の遺品や遺書など1万6000点が展示・保管されています。

平和会館を初めて訪れたのは面接の時だったという羽場さん。これから勉強していこうという矢先、新型コロナ感染拡大の影響で臨時休館が決まりました。そんな時、展示のリニューアルを任されることになりました。
実は、知覧特攻平和開会館、大きな転換を迫られていました。平和会館の来館者数は現在、ピーク時の半分。戦争体験者が減り、戦争を知らない世代が更に若い世代へ語り継ぐ時代がやってこようとしています。

羽場さんには次世代に関心の輪を広げてもらう役目が期待されていました。いきなり任された大役。でも実際どうすればいいのか―。そんな中、先輩とともに戦跡を見て回っていた時、出撃前の特攻隊員が寝泊まりしていた三角兵舎を見つけます。戦争は、確かにここにあった。75年前が少し近くに感じました。

展示スペースでリニューアルに取りかかる羽場さん。特攻基地の前身だった知覧飛行学校について紹介するケースを作成していました。少しでも戦争を近くに感じてもらいたい。大きくした当時の写真には羽場さんが作った説明パネルが添えられました。

待ちに待った再開の日、来館者の数は決して多くありませんでしたが、訪れた人たちは長い時間をかけてじっかり展示物に見つめていました。
この日、羽場さんは平和会館を訪れたある女性と出会います。桑代ちのさん91歳、当時なでしこ隊の一員として特攻隊員たちを見送っていました。息子の照明さんは現在、平和会館で語り部として働いています。
沖縄戦で亡くなった陸軍の特攻隊員、1036名。75年前、この日本で確かに戦争がありました。当時の記憶や記録に寄り添う。25歳が語り継ぐ、戦争です。