熊本地震発生からまもなく半年。かごニューではこれまで鹿児島から熊本を支援する人たちを取材してきました。現地へ赴いた彼らの思いは「被災地に思いを寄せ、支援の気持ちを持ち続ける」だった。甚大な被害を受けた熊本県益城町は、今もなお瓦礫の山が見られ、被災者は今までと違う生活を余儀なくされている。益城町で出会ったひとつの家族を通して、益城町の今、そして鹿児島の私たちがすべきとは。
熊本地震からまもなく半年
【益城町総合体育館】
体育館の前は未だに亀裂が入ったままの状態です。現在も201人が避難していますが、10月には避難所は閉鎖されるという事です。
避難している方は「仮設住宅に居られるのは2年。それから先が大変。家もやられた、農地もやられた、自動車もやられた、何で収入を得たらいいのか…」
「仮設も大事だが、自宅を修理している人にも目を向けて欲しい。避難所が終わっても出てからが始まり…」と言っていました。
【藤澤美咲さん】
震災直後にインタビューした藤澤美咲さんに現状をうかがいました。
震災直後は車中泊、5月は家族でテントで生活。現在は仮設団地の3Kで暮らしていますが、狭かったり、音が響いたり、段ボールを利用したベッドを使ったりと、色々と大変です。
「ありがたいと思わなきゃ」と自分自身に言い聞かせているそうです。
「本当に自分を維持するのが大変。目の前に広がっている光景が今も信じられない」と言う事です。
町中は今にも崩れそうな建物でいっぱい。キャンピングカーで倒壊を支えている家もあります。
8月くらいから大通り沿いの家を自主解体始めた方もいますが、公費解体を待っている方々もいるそうです。
【藤澤さんの自宅】
1階は工場、2階は自宅。見た目を大丈夫そうですが、判定は「全壊」
よく見るといたる所にヒビ・亀裂が入り、家の傾きが怖く物も取り出せない状況だそうです。
東北の時と違い、どんどん話題が減っていっている。報道されなくなったからもう大丈夫ではなく、状況はなかなか変わらず置いてきぼりになってしまう。人々の関心が薄れていく事を感じていると言う事でした。
元の生活を取り戻すためのスタート地点にやっと立てた被災者たち。益城町の復興はまさにこれから始まろうとしています。