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5月26日(金)かごしまロングセラー・県民も知らないヒストリー

長年、鹿児島で愛されている人気商品のルーツに迫る企画。
今回歴史を紐解くかごしまロングセラー商品は、「ボンタンアメ」です。

モチモチとした食感と、甘さの奥に感じる柑橘の香り。
発売から、来年で100年。

長年、県民に愛されてきたソウルフードです。

そんなボンタンアメには、県民も知らないエピソードが。

訪ねたのは、ボンタンアメを製造しているセイカ食品です。
 

ボンタンアメヒストリーの語り部は、ボンタンアメをこよなく愛す、入社17年の東龍吾さんです。

県民も知らないボンタンアメヒストリー・その①

『会社の経営危機から生まれた!?ボンタンアメ誕生秘話』

時代は、明治36年。

菓子問屋、松浦屋商店として開店。

大正8年、「松浦屋商店」から「鹿児島菓子」に名称を変えました。
さらに、菓子工場を作り、大々的に水飴の製造販売に乗り出します。

しかし、鹿児島だけでは需要が少なく、全国に販路を広げる必要がありました。

当時は輸送手段が乏しく、販路拡大に苦戦したそうです。

そこに追い打ちをかける出来事が起こります。

水飴を輸送中、容器の一斗缶に穴が開き、船の上に流れ出してしまいました。
水飴代を運搬会社に請求したところ、逆に清掃費を請求される事態に。

この最大のピンチを切り抜けたのは、創業者・玉川壮次郎のアイディアでした。

(東さん)
当時、水飴を使った朝鮮飴も製造していて、ボンタンの風味を朝鮮飴につけて販売したら人気が出るんじゃないかと。

そして大正13年、ボンタンアメが誕生しました。

その後、『鹿児島菓子』から『鹿児島製菓』、そして『セイカ食品』になった今も、会社を支える看板商品になりました。

現在、全国で販売しており、売上のシェアは県外が9割弱。
東京のキヨスクでも販売しています。
 

もはや、日本のロングセラーといっても過言ではありません。
では、どのように全国に広まったのか。

県民も知らないボンタンアメヒストリーその②

『世間を騒がせた!豪快で驚きの宣伝活動!』

昭和3年、創業者の壮次郎は、思いもよらない宣伝活動を考案しました。
 

それは、払い下げの軍用機を購入して、空からボンタンアメを撒くというもの。

しかし、資金の折り合いが付かず、実現しませんでした。
 

壮次郎の奇想天外なアイディアが、メディアに取り上げられ、結果的に全国にボンタンアメの名を広めることになりました。

県民も知らないボンタンアメヒストリーその③

『おいしさには秘密あり!ロングセラー工場に潜入!』

ボンタンアメの主原料は、もち米です。

まずは、そのもち米を挽いて粉にします。

色の選別を行い、良質な「もち米」のみを使用します。

そのあと、タンクで10度以下の冷水に一晩浸します。

一晩冷水で寝かせた「もち米」は、蒸気釜へ運ばれます。

その後、水飴や砂糖を入れ、およそ100度で3時間ほど練り上げます。

ボンタンアメには、ボンタン以外にも温州みかんなどの果汁も加えて、より風味が出るようにしています。

釜は重くて動かせないので、生地を下にある台に流します。

黄金色の美しい生地。
 

普段見られない、超レア映像です。

この状態のボンタンアメを、特別に試食させていただきました。

粒状にカットされたボンタンアメは、いよいよ最終工程へ。

瞬時に個数を判断して、箱に入れます。
これぞ職人芸。

それもそのはず。
ボンタンアメは、1日50万粒、年間およそ1億2000万粒も製造しているんです。
このスピードがあってこその生産数です。

県民も知らないボンタンアメヒストリーその④

「ときどき、ずっと。」に込められた思い。

「ときどき」食べてほしい。
「ずっと」付き合ってほしい。

会社の経営危機を救い、 今日まで愛され続けてきた「ボンタンアメ」。
来年、販売開始から100年を迎えます。

ロングセラーとは?

(東さん)
長寿アニメのようにいつ見ても変わらない。ときどき見るとホッとする商品。