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4月16日(金)知覧特攻平和会館の26歳学芸員が伝える戦争とは!

知覧特攻平和会館に戦争を伝える若き学芸員がいる。羽場恵理子さん、26歳。この春、自身初の企画展「三十一音の遺書」開催に挑んだ。テーマは、特攻隊員が詠んだ「短歌」。なぜ、特攻隊員は短歌を詠んだのか。散りゆく花びらに自身を重ね、再び咲く花に未来を託した特攻隊員たち。残された歌や戦争体験者と向き合う26歳の新たな挑戦を追いました。

知覧特攻平和会館

76年前、3月26日~7月19日 。陸軍の特攻作戦で1036人隊員隊員が命を落としました。今回、桜の開花とともに出撃していった特攻隊の歴史を伝える26歳の女性に会ってきました。
去年、埼玉から移り住みコロナ禍で踏み出す”新たな一歩”。キーワードは「歌」です。
3月26日、桜の名所としても知られる「知覧特攻平和会館」を訪ねました。知覧特攻平和会館は、主に陸軍の特攻作戦の歴史を伝えてきた施設です。特攻隊員の遺品や遺書などおよそ1万6000点が展示・保管されています。

羽場恵理子さん

羽場恵理子さん、26歳。羽場さんは去年、採用された若き学芸員です。彼女には、この春、挑んだことがありました。羽場さんの挑戦、それは、遺品室の奥にありました。
本日から始まる企画展「三十一音の遺書」になります。
この2カ月前、館長と先輩学芸員に企画内容を説明する羽場さんの姿がありました。目をつけたのは特攻隊員が詠んだ「短歌」です。戦闘機もろとも敵艦に体当たりする人類史上類のない特攻作戦。亡くなった隊員の5人に1人にあたるおよそ220人が短歌を残していることがわかりました。
 

短歌

心の動きを三十一文字で表す「短歌」。なぜ、特攻隊員は人生の最期に短歌を詠み、遺したのか。
初めての企画展、彼らの気持ちを知るため遺された歌とひたすら向き合いました。
そして、この日、企画展初日を迎えたのでした。会場には短歌を記した手紙や寄せ書きなど
21点が並びました。散りゆく花びらに自身を重ね再び咲く花に未来を託した特攻隊員。

三宅トミさん

当時のことを知る女性が福岡県北九州市にいました。三宅トミさん(90)です。
3年生の1学期から特攻隊をお世話した。三宅さんは76年前、特攻隊員の身の周りの世話をし”なでしこ隊“と呼ばれた女学生の1人でした。
三宅さんには忘れられない体験がありました。4月の晴れた日、名前も知らない隊員から
兵舎近くの蓮華畑で1枚のメモを渡されました。そこには、こう書かれていました。「君と別れて いつまた会える 梅か桜のさく頃 靖国か」って、紙に書いてあったです。それは、想いを綴った歌のメッセージ。その隊員は、翌日出撃し戻ってきませんでした。
今となってはその隊員の名前もメモの行方も知ることは叶いません。しかし、贈られた歌だけは心の中に残り続けています。

込める思い

羽場さんは、企画展のタイトルにあるメッセージを込めていました。
短歌は別名、三十一文字というが「三十一音」にしたのは。文字だけではなくって心の中で
響いてほしいというか、、
特攻隊員に感心を寄せるきっかけになればいいなと思っております。

「戦争を知らない世代」に

穴澤大尉の遺品。婚約者だった伊達智恵子さんから寄贈してもらった遺品になります。飛行兵として志願したあと伊達智恵子さんに贈ったものです。

羽場さんの出身は埼玉県出身です。元々中学生の頃から歴史に興味があって大学の恩師にこちらの応募があると教えてもらって。羽場さんは一年前、夢だった学芸員になるため鹿児島に移り住みました。しかし、働き始めてすぐの頃でした。新型コロナにより、すぐにお客様がいない状況になってしまったのです。

桑代チノさん

桑代チノさん(当時91)。特攻隊員を見送った女学生「なでしこ隊」の一人です。
第二総攻撃だったってことは後から聞いた。土で滑走路も柔らかいので、滑走を長くしてよろよろして、250キロ爆弾を抱えて片道切符の燃料もらって行ったんです
体験者から初めて聞く、戦争。気持ちとか感情がお話に滲み出てきているので資料からではわからないことが、聞き取り調査の中では発見できるんだなと感じました。

戦争の記憶は。76年間から続く「命のバトン」です。
羽場さんは、私たちをある場所に案内してくれました。
 

かつて特攻隊員が出撃した場所

滑走路がありました。
見送る隊員やお世話をするなでしこ隊も、出撃直前までそこでその様子を見てた人たちがいるんだなと思うと考え深いなと思います。

平和会館に若い人たちが来てほしい。今も若い人の来館が増えているので、興味を持てる企画展を作れたらと思う。導きになれたらいいな。
戦争を知らない世代を導く光になりたい。
「命のバトン」を繋ぐ、26歳。