“管理栄養士”という仕事がある。食を通じて医療に携わり、人々の健康を支える―。その仕事に40年以上、情熱を傾ける女性がいた。油田幸子さん。彼女の姿から見える今の社会を見つめました。
伝えたいこと~ある管理栄養士の思い
管理栄養士は、健康な人々、病気やけがをした人などのさまざまな症状・体質を考慮した
栄養指導や給食管理を行います。
【油田幸子さん】
「厚生連病院」で、メニューを考える人、給食を管理する人や、調理をする人などをまとめる油田幸子さん、この仕事を始めて40年以上です。病院の管理栄養士は、患者さん一人一人の病気や状態にあわせたメニューを考えたりする、いわば「食の番人」です。
さつま町宮之城生まれの油田さん。高校の先生から進められた短大で栄養士の道へ進みました。卒業後、最初の現場は学校給食。初めは楽しかった子どもたちの給食作り。しかし、次第に物足りなさを感じるようになりました。
【病院の管理栄養士へ】
そして、希望を胸に進んだ病院の管理栄養士。しかし、その姿は思い描いていたものとは違っていました。管理栄養士の仕事が認知されていない上に、病院の給食は、油田さんが考える健康の為の食事とは程遠いものでした。
健康を考えた食事に変える。ご馳走ではないが、行事食で季節感を感じられるようにする。大変だけど患者さんのために続けて欲しい。
一番難航したのは、夕食時間の変更でした。夕食を6時に変えるには職員の勤務時間も変えなければならなかったのです。看護師・調理師の勤務時間の調整が難航。調理のトップの女性が「しなきゃいけないんだったらするのよ」この一言で変更への道が・・・
【病院食の改革者】
病院の食事が患者さんの健康を支える。油田さんの思いは病院に浸透していきました。週に一度の会議では医師・看護師・管理栄養士が一緒に患者さんの栄養サポートを考えます。
また、退院後も食事管理が必要な患者さんには個別に指導もします。病院の食事がモデルで、自宅に帰っても出来るものでなければ何にもならない。気が付けば「病院食の改革者」と言われるまでになっていました。
【仕事が終わると】
毎日、誰かのために走り続ける油田さん。仕事が終わり、ホッとするのは家族と過ごす時間です。自宅に帰り着くのは午後7時半。晩酌をするご主人重昭さんとの夕食の時間が、大切な安らぎの時間です。結婚45年、教師だった重昭さんは単身赴任生活もありましたが、それでも奥さんを応援してきました。他の人のために走り続ける奥さんの笑顔がとても素敵だったからだと言います。
【看護学校へ】
油田さんはこの日、看護学校へ。看護師を目指す学生に医療に欠かせない栄養学を熱く伝えていました。
【油田さんの信念】
「できない、しませんを言わない」徹底している油田さん。
そして「管理栄養士はどんどん外に出て自分の知識を広げなさい」と言うのは、医療の未来を考えているからです。医療費が膨らむ日本は、これから予防医療の時代。その第一は食生活の見直しであり、そこに力を発揮するのが管理栄養士だと言います。
多忙を極める油田さん、支えてくれる人に恵まれたと言います。その時々に「目標」があったからだと話してくださいました。そして今ももっと管理栄養士の地位を向上させたいという目標に情熱を燃やしています。