桜島 噴火を伝える石碑
鹿児島大学の井村隆介 准教授とともに防災に関するさまざまな知識を深める「井村隆介の防災をマナブ」です。
桜島周辺には過去の大噴火を伝える「石碑」が様々な場所に残されています。
噴火で起きたつらい経験を繰り返さないために、石碑が今の私たちに伝えていることを考えます。
(2020年6月9日 放送)
桜島の大噴火を伝える「石碑」
●気象予報士・渡司陵太
照国神社の前にやってきました。
●気象予報士・渡司陵太
防災をマナブ、今回のテーマは「石碑」です。
●鹿児島大学・井村隆介准教授
これは1914年・桜島の大正噴火をを記念して建てられた石碑なんです。
●鹿児島大学・井村隆介准教授
先人が残してくださった石碑を通じて、桜島がどういう噴火をしてきたのかを学んでみたいと思います。
1914年に桜島で起きた大正噴火。
死者58名の被害が出た大噴火で、流れ出した溶岩で桜島と大隅半島が繋がりました。
照国神社前の石碑には、噴火の前兆や被害、噴火後に地震があったことなど細かく記されています。
石碑は今の私たちに何を伝えているのか?
『住民は理論に信頼せず』
東桜島小学校に残された石碑を訪ねました。
●鹿児島大学・井村隆介准教授
桜島爆発記念碑とあります。ある意味、私たち科学者にとって一番良く知られている碑になります。
石碑には『噴火前に地震が頻発したこと』『測候所が「噴火はない」と回答したことを信じて避難しなかった人が犠牲になったこと』が記されています。
●鹿児島大学・井村隆介准教授
『住民は理論に信頼せず』
●鹿児島大学・井村隆介准教授
科学をメインに置くんじゃなくて、前兆に気づいた時には自分たちで逃げなさいよ。逃げた先で生活ができるように手習いをちゃんとしておきなさいよ。
●鹿児島大学・井村隆介准教授
噴火が起こった時に生活していくために必要なことがすべて刻まれています。
住む場所を失った歴史
少し変わった石碑もありました。
垂水市大野原地区、桜島から10キロあまり、標高およそ500mの山奥にある集落です。
●鹿児島大学・井村隆介准教授
土地所有権移転記念碑と書いてあります。
●鹿児島大学・井村隆介准教授
この大野原地区は桜島の噴火で住む場所が無くなった方たちに移住する場所として提供された地域です。
●鹿児島大学・井村隆介准教授
400人を超える方が入植されたんですけど、当時は借地でした。
●鹿児島大学・井村隆介准教授
入植してから20年後ぐらいの昭和11年になって、ようやく土地の所有権が開墾した方々に移されたということで、それを記念して建てられた石碑なんです。
大正噴火の後、生活していた場所に戻れず、新しい土地をもらうのに苦労した住民たち。
今の私たちが学ぶべきものとは…
●鹿児島大学・井村隆介准教授
住みかを変えなければいけなくなるほどの規模の噴火が、大正クラスの噴火なんです。
●鹿児島大学・井村隆介准教授
大正クラスの噴火で、106年前の方々は自分たちの住みかを失って、今まで使われていなかったような土地を一生懸命に開墾するようなことを強いられたことになります。
大噴火は江戸時代にも…
桜島の噴火を伝える石碑は大正噴火だけではありません。
桜島を望む鹿児島市吉野町の石碑を訪ねました。
『上之原集落発祥 二百二十年』と書かれています。
●鹿児島大学・井村隆介准教授
江戸時代・安永の噴火の時に、桜島にいた人達が被害を受けて…
●鹿児島大学・井村隆介准教授
桜島に住めなくなったので、吉野に移住してきて、その220年を記念して建てられたのがこの記念碑なんです。
江戸時代にも起きていた噴火による移住。
当時の人々は、桜島に戻ることをあきらめました。
ふるさと桜島が見える高台に、桜島にあった神社の分社を作り、新しい場所での生活を始めました。
●鹿児島大学・井村隆介准教授
桜島の大正クラスの噴火は、近い将来起こるかもしれないといわれています。安永噴火は1779年に始まって3年ぐらい続きました。「噴火で数年にわたって避難すること」も考えなければならないんです。
●鹿児島大学・井村隆介准教授
住む場所すら無くなって、新たな土地を求めなければいけないような規模の噴火が、近い将来に予想されているんだというのを、今こそ私たちはこういう石碑、過去の人達が残してくださった物を通じて学ばなければいけないと思っています。
(2020年6月9日 放送)