【動画】桜島の大正大噴火を知ろう
鹿児島大学の井村隆介准教授を先生に、親子で楽しく学ぶ「ぼうさいの時間」です。
1月12日で桜島の大正大噴火から108年です。
どんな噴火だったのか、当時の人が残した教訓は何か、学んでいきます。
テーマは「桜島の大正大噴火を知ろう」
◆井上彩香アナウンサー
桜島にやってきました。今月のテーマは「桜島の大正大噴火を知ろう」です。
◆鹿児島大学 井村隆介准教授
大正3年(1914年)に桜島では大きな噴火が起こりました。そういう噴火が近い将来起こるのではないかと考えられています。きょうはその桜島の大正大噴火について調べてみたいと思います。
桜島・大正噴火(大正3年・1914年)
1914年1月12日午前10時すぎ、桜島で噴火が始まりました。
20世紀の日本で起きた噴火の中で、最大規模の噴火です。
流れ出た大量の溶岩で多くの集落は壊滅し、桜島と大隅半島は陸続きに…
時を同じくして発生したマグニチュード7.1の地震の犠牲者も含め、死者は58人にのぼりました。
島をのみこんだ大正溶岩
―― 島をのみこんだ大正溶岩
この場所ははもともと海で、「烏島」という名前の小さな無人島がありました。
◆鹿児島大学 井村隆介准教授
今、ここは標高20mぐらいになってるんですけど、噴火によって溶岩が流れ出してきて、ここにあった島を全部埋め尽くして、さらに鹿児島市の方に向けて500m~1kmぐらい海の方にせり出しました。
◆井上彩香アナウンサー
昔から陸があったように見えるこの場所は全部海で、全部大正溶岩ってことなんですね。
◆鹿児島大学 井村隆介准教授
西郷隆盛も坂本龍馬もこのあたりに海があった風景しか知らない。
クイズ
それではここでクイズです!
◆鹿児島大学 井村隆介准教授
『大正クラスの噴火』と私たちは呼びます。それは普段の私たちが見ている桜島の「ぼんっ」ていう噴火と比べて何倍ぐらいでしょう?
◆鹿児島大学 井村隆介准教授
大正噴火は10万倍ぐらいもあったんです。
◆鹿児島大学 井村隆介准教授
桜島が小さな噴火をしているので、大きな噴火は来ないと思っている人も多いです。
◆鹿児島大学 井村隆介准教授
地下からのマグマは、どんどん供給されているので近い将来、大正クラスの噴火が起こるといわれています。
大正噴火はどこから噴火した?
―― 大正噴火はどこから噴火した?
2人が歩いている道、普通の山道のように見えますが…
◆鹿児島大学 井村隆介准教授
大正溶岩の火口の中を歩いています。
◆井上彩香アナウンサー
火口の中!?
桜島の大正大噴火は「山頂」で起こったと思っていませんか?
大正大噴火では、桜島の西側の湯之平展望所から見て南岳山頂の手前の引ノ平から大量の軽石が噴出し…
山の中腹の割れ目火口から大量の溶岩が流れ出ました。
2人がいる場所こそ、烏島をのみ込んだ大量の溶岩が流れ出た場所でした。
◆鹿児島大学 井村隆介准教授
山の中腹を噴火口と考えれば、鹿児島市内(市街地)からの距離が一気に2キロぐらい縮まります。
もっと麓から噴火が起こると、鹿児島市内(市街地)までの距離はもっともっと縮まります。
当時の人が残した教訓は?
―― 当時の人が残した教訓
最後にやってきたのは観光地として人気の「黒神埋没鳥居」です。
◆鹿児島大学 井村隆介准教授
大正噴火のことを今に伝える生き証人です。
このあたりの集落は軽石や火山灰で埋め尽くされました。
3メートルの高さの鳥居も1メートルを残して埋もれました。
◆鹿児島大学 井村隆介准教授
またいずれこういう噴火があるかもしれないよと伝えたかったはずなんです。過去のことではあるんですけれど、「将来のことでもある」というメッセージです。
大正噴火の教訓を伝える石碑は県内におよそ50基。
大正クラスの噴火がいつの時代でも起こりうることや、日頃の「備え」と「覚悟」の大切さを私たちに伝えています。
◆鹿児島大学 井村隆介准教授
家族構成とか、避難所までの距離、桜島からの距離、色んな条件が人によって違います。何をすればいいのかは、人それぞれです。