どこまでもひとりだから

去年、ナマ・イキVOICEの特集で
神保町をめぐったときに購入した1冊。
一棚一棚に棚主さんがいる
共同書店の中のとある本棚で出会いました。
『100年後あなたもわたしもいない日に』
文・士門蘭 絵・寺田マユミ
だいぶ寝かせましたが
先日じっくり読むことができたので
きょうはその中の1ページをきっかけに
いろいろと考えてみたことのブログです

本の中にこんな一文がありました。
どこまでも ひとりであるのは知っている
時々うっかり 忘れるだけで
買ってすぐ読んだときは
わたしも同じ気持ちだと思って
それからなんとなくこの歌が好きでした。
ひとりだとわかっていながら
時々うっかり 忘れちゃうことあるよな、
そんなことばかりだな、と。
でも最近、この本をまた開いて
このページを読んだときに浮かんだ気持ちは
少し変わっていました。
どこまでもひとり なはずなのに
思い通りにならなかったこと
本当の自分が伝わっていないこと
そういうモヤモヤの責任を
あの人がわかってくれないとか
なんで理解してもらえないんだろうとか
人にゆだねてしまいたくなるのは
違うのかもしれないと。
仲のいい友達でも家族でも
その人の本当はその人にしかわからないし
ひとりひとり 違う考えや感情をもっていて
どこまでもひとり で当たり前だから
人を変えようとするのではなく
自分が変わろうと努力すること
自分の胸に手を当てたときに
誇れるような行いを続けること が
いちばんの方法なのかもしれないと思いました。
それともうひとつは
どこまでもひとり なはずなのに
ほかの誰かのことを気にかけられる人
一緒に歩いてくれる人
誰かへのやさしさをもって生きている人の存在は
すごくあたたかくて当たり前じゃないということ。
ひとりよがりじゃなく
誰かのことを考えられる人がいるって
すごくありがたいことだよな、と。
だから、そのことに、毎日感謝して、
わたしもそういう人なりたいと思っています。
まだまだ考えの成熟していない
大人になりきれない大人なわたしなんですが、
どこまでもひとり だと思うと
少しだけ思考が整理できて
感謝すべき人の存在にも気づけたような気がします