内閣府が確認 学童疎開船『対馬丸』の船体・船名を水深約870mで撮影
2025年12月25日(木) 12:00

1500人犠牲の学童疎開船『対馬丸』、海底で船名を確認
太平洋戦争中の1944年、悪石島沖合でアメリカ軍に撃沈され約1500人もの命が失われた学童疎開船「対馬丸」について、内閣府は船体を海底で確認したと発表した。水深約870メートルに沈む船体からは、「対馬丸」の船名も確認された。
無人探査機による調査で船体を発見

対馬丸の船名がはっきり確認された
内閣府は、2025年11月27日から12月18日にかけて実施した海底調査で、無人探査機を使用して「対馬丸」の船体を確認した。公表された画像には船体の一部とともに、はっきりと「対馬丸」の船名が見て取れる。
調査では船体周辺の木片や土砂も収集されており、内閣府はこれらの資料について今後さらに詳しい分析を進める方針だ。
悲劇の学童疎開船「対馬丸」

約1500人が犠牲となった学童疎開船「対馬丸」
「対馬丸」は太平洋戦争末期の1944年8月21日、沖縄県那覇から長崎県へ向けて出港した。児童や教師を含む多くの避難民が乗船していた。しかし翌22日夜、鹿児島県の悪石島沖合でアメリカ軍潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没。この悲劇により、子どもや教師ら1500人近くが犠牲となった。
奄美大島・宇検村での慰霊活動

戦争の記憶を次世代へ
対馬丸沈没後、多くの犠牲者の遺体が奄美大島の宇検村の海岸に流れ着いた。この地には現在、犠牲者を追悼する慰霊碑が建てられ、毎年慰霊祭が執り行われている。
この慰霊活動を通じて、地域では平和の大切さや命の尊厳が語り継がれている。
地域の思い 平和への願い

津田政俊区長
対馬丸船体確認のニュースを受け、慰霊祭を実施している宇検集落の津田政俊区長は次のように語った。
「子供たちの平和学習は2025年も行われている。(船体の確認で)2度と戦争をしない思いがつながればいい」
宇検村では今後も慰霊祭や平和学習を通じて、戦争の悲惨さと平和の尊さを伝え続けていく。
戦争の記憶を未来へ
対馬丸の悲劇から80年以上が経過した今日、船体の発見は戦争の記憶を風化させないための重要な契機となる。内閣府による今回の調査と船体確認は、太平洋戦争における民間人、特に子どもたちの犠牲を再認識し、平和の大切さを次世代に継承する意義を持っている。
内閣府では今後、収集した木片や土砂の分析を進め、対馬丸の詳細な状況解明に取り組む。戦争の悲劇を忘れず、平和への思いをつなげていくことが、犠牲者への最大の供養となるだろう。

















































































































