忘れない

先日、「KTSライブニュース」でお伝えしましたが
神村学園駅伝部のメンバーとして、
2019年と2020年の全国高校駅伝準優勝に大きく貢献した
ケニア出身のバイレ・シンシア選手が
今月14日、千葉県内の病院で亡くなりました。20歳でした。

去年5月に鼻に腫瘍が見つかり、闘病を続けていました。
一時は医者から「年は越せないかもしれない」と言われたそうです。
しかし2022年12月27日に20歳の誕生日を迎え、
日々の治療と必死に向き合い、
年を越した2023年4月14日に旅立ちました。
私はシンシア選手が神村学園に在籍した高校3年間、何度も取材をしました。
1年生の頃は少し恥ずかしがり屋でした。
それでも必死に日本語を勉強し、
2年生の頃には自分の言葉で一生懸命インタビューに答えてくれるようになりました。
シンシア選手が2年生の時の全国高校駅伝では、神村学園は準優勝。
前年は初優勝を飾っていた神村学園。
連覇はならず、
レース後のシンシア選手は大粒の涙を流しながら、
「次は絶対優勝します」とはっきり答えてくれました。
シンシア選手の涙を見て、取材者としては失格ですが、
私も涙が流れてきたことを今でも思い出します。
2020年、シンシア選手が3年生の時に挑んだ全国高校駅伝でも神村学園は準優勝。
シンシア選手は足を痛めながらも最後まで決して諦めず、
仲間がつないだタスキをゴールまで運びました。
人知れず涙を流し続けたその姿は、今でも鮮明に私の心に残っています。
神村学園時代にシンシア選手を指導していた有川哲蔵監督は、
シンシア選手の日本のお父さん的な存在でした。
有川監督は今月13日、シンシア選手が息を引き取る前日に
お見舞いにいっていたそうです。
「その日も、あの子らしく、笑顔で話をしてくれた」と私に話してくれました。
有川監督は
「日本の様々な大会であの子の名前が残ってうれしい。
今はゆっくり休んでいるかな。
シンシアには感謝の気持ちでいっぱいです」と話してくれました。
シンシア選手は闘病中、日本語や漢字も勉強していたそうです。
最後まで希望を持って戦い抜く、シンシア選手らしいなと思いました。
目の前を風のように走って行く、シンシア選手の走り。
今までも、そしてこれからも、絶対に忘れません。
ありがとうございました。