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つたえたいこと

広範囲に大きな被害をもたらした“西日本豪雨”から、

1カ月がたちました。

私の母のふるさと・広島県の坂町小屋浦でも大きな被害がありました。

死者16人、行方不明者1人(8月13日現在)。

居てもたってもいられず、

8月11日、坂町小屋浦の復旧作業のお手伝いをしてきました。

私が見た風景、感じた気持ちを、少しでも皆さんと共有できればと思ってブログを書きました。

最後まで読んでいただけると幸いです。

広島駅から車で坂町に入ると、

至る所で土砂崩れが発生し、電車の線路内には多量の土砂が流入していました。

昔よく遊んだ海水浴場は、土砂や流木置き場になっていました。

 

小屋浦に着くと、

お店の屋上駐車場が、ボランティアのために開放されていて、そこに車を止めました。

そこからは小屋浦に住むいとこの車で現場に入りました。

 

私が前回小屋浦に行ったのが、今年1月3日。

それから半年あまり。以前の面影を全く残していない、母のふるさとに衝撃を受けました。

 

小さい頃、花火をしたり、セミ捕りをした公園も、

涼んだり、魚捕りをしたきれいな川も、

いとこや両親と手をつないで歩いた田舎道も、

すべてなくなっていました。

 

あるのは、山から流れ下った大量の土砂や流木、大きな石。

 

まるで、違う場所になってしまったような、そんな感覚でした。

 

母の実家の目の前の住宅は、土砂で丸ごと流されていました。

当時、実家にいた伯父に話を聞きました。

あの日の夜、

裏山の至る所から、急に水鉄砲のような勢いのいい水が吹き出してきたそうです。

初めて見る光景に危険を感じた伯父は、

家族を連れて、すぐさま避難所に指定されている小学校へ車で向かいました。

10分後、目の前の住宅を飲み込む土砂崩れが発生。

土砂は、伯父たちが避難するときに通った道路も覆いました。

判断がもう少し遅れていれば、自分たちも車ごと土砂に飲み込まれていたかもしれないと伯父は話しました。

その後4日間、避難所で過ごしたそうです。

 

今、坂町小屋浦で行方不明になっている女性は、

私の伯父の職場の同僚の奥さんです。

20代の娘と家に居ましたが、

あまりにもすごい雨だったため避難しようと思い

二人で外に出たところ、土砂に飲み込まれたそうです。

娘は奇跡的に救助されましたが、母親は1カ月たった今も見つかっていません。

もしかしたら、水分を含んで重さを増した土砂の下のどこかにいるのかと思うと、

胸が締め付けられました。

一刻も早く、娘さんの元へ帰ることができますように。

私は、親戚とボランティアの皆さんと

母のいとこの家の復旧作業を手伝いました。

 

1階の天井まで埋め尽くした土砂を

大きなスコップで、少しずつ取り除きます。

息苦しい住宅の中での、中腰での作業。

それに加え、猛暑。

長袖のジャージの下に着ていたTシャツが絞れるほどの汗をかきました。

取り除いても取り除いても先が見えない。土砂がなくならない。

気が遠くなるような作業でした。

10人で2時間作業をし続けても、取り除けた土砂はほんのわずか。

それでも、土砂をかき出し続けました。

 

ボランティアの中には、はるばる名古屋から来ていた大学生もいました。

夜行バスに乗ってボランティアに来て、観光することなく

また夜行バスに乗って帰ると話していました。

伯父や親戚は、

「水の恐ろしさと、ありがたさを同時に知った災害」と話しました。

現地で復旧作業にあたる人も、

「近しい人が大きな災害に遭ってはじめて、自分のこととして考えるようになった」

「今回の出来事がきっかけで、大雨や台風が来ると避難するようになった」と話しました。

小屋浦では、約100年前にも大雨による大きな被害が出ていたそうです。

 

災害を経験してはじめて芽生える、

「もう二度とこの悲劇を繰り返してはならない」と言う強い思い。

 

小屋浦で日々復旧作業にあたる

被災をした私の伯父は言いました。

 

「あやちゃん、この光景を、この姿を、たくさんの人に伝えて欲しいんよ。見て欲しいんよ。

ここは、テレビでたくさん放映してくれたけえ、ボランティアの皆さんが来てくれるんじゃけど、

テレビカメラも入れん被災した場所もまだたくさんあるんよ。

そこには、誰も手伝いにこんのんよ。少しずつがんばるしかないね」

ボランティアで現場に行くことは簡単ではありません。

でも、思いをはせたり、被災した人々の思いを無駄にしないよう行動することはできます。

それぞれの場所で、今自分は何ができるのか。

一人一人が、考える時ではないでしょうか。

 

人ごとではありません。

いつ自分の身に起こるかわかりません。

今後、私たちがどう行動すべきか、試されていると思います。

 

伯父は、家の裏山の異変を察知して避難所へ行き、

土砂による被害を免れました。

普段から、家の周囲の自然をよく観察していたからできた行動です。

私は、KTSプライムニュースの中で

「自分の家を取り巻く環境を、普段から気にかけて見ておきましょう」と訴えたこともありますが、

その行動が命を救ったのだと、伯父の話を聞いて思いました。

 

皆さんは、この西日本豪雨を受けて、どう行動しますか?

最後に、小屋浦の写真を載せます。