「対馬丸」の船体を確認 宇検村の関係者「戦争をしない思いにつながれば」 鹿児島・奄美大島
2025年12月24日(水) 18:24
太平洋戦争中に悪石島の沖合でアメリカ軍に撃沈され、約1500人が犠牲になった学童疎開船「対馬丸」について、内閣府は「海底を調査した結果、船体を確認した」と発表しました。
多くの遺体が流れ着き、毎年、慰霊祭を行っている鹿児島県の奄美大島の宇検村の関係者は「これからも平和学習などを行い、戦争をしない思いがつながれば」と話しました。
これは内閣府が23日、公表した画像です。
「対馬丸」の船名も確認できます。
内閣府によりますと、11月27日から12月18日に、無人探査機で海底を調査した結果、水深約870メートルで船体を確認しました。
内閣府では、付近の木片や土砂も収集していて、今後分析を進める方針です。
学童疎開船「対馬丸」は、太平洋戦争中の1944年8月21日に長崎県に向けて沖縄県の那覇を出港し、22日夜に悪石島の沖でアメリカの潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没し、子どもや教師ら1500人近くが犠牲になりました。
多くの遺体が流れ着いた奄美大島の宇検村の海岸には慰霊碑が建てられ、毎年、慰霊祭で平和、命の尊さを伝え続けています。
船体が見つかったことを受け、慰霊祭を実施している宇検集落の津田政俊区長は次のように話しました。
毎年慰霊祭を実施 宇検集落・津田政俊区長
「子供たちの平和学習は2025年も行われている。(船体の確認で)2度と戦争をしない思いがつながればいい」
多くの遺体が流れ着き、毎年、慰霊祭を行っている鹿児島県の奄美大島の宇検村の関係者は「これからも平和学習などを行い、戦争をしない思いがつながれば」と話しました。
これは内閣府が23日、公表した画像です。
「対馬丸」の船名も確認できます。
内閣府によりますと、11月27日から12月18日に、無人探査機で海底を調査した結果、水深約870メートルで船体を確認しました。
内閣府では、付近の木片や土砂も収集していて、今後分析を進める方針です。
学童疎開船「対馬丸」は、太平洋戦争中の1944年8月21日に長崎県に向けて沖縄県の那覇を出港し、22日夜に悪石島の沖でアメリカの潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没し、子どもや教師ら1500人近くが犠牲になりました。
多くの遺体が流れ着いた奄美大島の宇検村の海岸には慰霊碑が建てられ、毎年、慰霊祭で平和、命の尊さを伝え続けています。
船体が見つかったことを受け、慰霊祭を実施している宇検集落の津田政俊区長は次のように話しました。
毎年慰霊祭を実施 宇検集落・津田政俊区長
「子供たちの平和学習は2025年も行われている。(船体の確認で)2度と戦争をしない思いがつながればいい」

















































































































