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ニュース・スポーツ

【特集】戦後80年 鹿児島大空襲の記憶 「変わり果てたり」 99歳の女性の日記

2025年8月18日(月) 12:33

きょう8月15日の特集は戦後80年、平和について考えます。

美川愛実キャスターがお伝えします。


戦後80年、当時生まれた子どもたちが80歳になる年です。

戦争を語れる人が年々少なくなり、今や戦争の記憶を辿ることは時間との闘いになっています。

そんな中、私たちは2025年、99歳になった女性に出会いました。

女性は戦時中、日記を綴っていました。

そこには彼女が見た戦争が克明に記されていました。

鹿児島県南さつま市。

かつて特攻隊の飛行場があった場所です。

ここに鹿児島の戦争を知る女性が暮らしています。


美川キャスター
「こんにちは」

吉峯睦子さん
「こんにちは。お庭がよく見えるからここに座って」


吉峯睦子さん
1926年(大正15年)、鹿児島市生まれ。

2025年、99歳になりました。

そんな彼女が16歳の時、戦争が始まりました。

吉峯睦子さん
「『お国のために戦った兵隊さんのおかげです』という風に(歌って)学校に行く」

当時、鹿児島第二高等女学校、現在の甲南高校に通っていた睦子さん。

戦争が始まると、机に向かって勉強することは少なくなり、卒業前の1年間は、軍事工場で働いていました。

睦子さんは当時、日記を綴っていました。

そこには、あの戦争の日々が克明に記されていました。


“どんなことでも元気と意気と根気ですべてを捧げる。ふらついてはならぬ”


毎日びっしりと綴られた日記、しかし、この日だけはわずか数行でした。

美川キャスター
「これは6月17日だから...夜間大空襲 鹿児島市街」

吉峯睦子さん
「市街、灰じんに帰す(跡形もなく燃え尽きる)、でしょうね」

1945年6月17日、鹿児島大空襲の日でした。

多くの人が寝静まった午後11時5分、アメリカ軍の焼夷弾が次々と鹿児島市内に投下され、街を焼き尽くしました。

当時、鹿児島市で暮らしていた睦子さん、今も鮮明にあの日ことを覚えています。

吉峯睦子さん
「サイレンが鳴らないうちに普通の昼よりもパーっと明るくなった。『あれ、何だろう?』と思ったらB29の爆音。ちょっと振り返ったら山形屋の窓からボンボン赤い紅蓮の炎が出ていた」

防空壕に逃げ込んだ睦子さん。

自分の部屋が燃え上がるのを見て、火を消そうと戻ります。

吉峯睦子さん
「私の離れがポッポッと明るくなっている。自分の家から火を出したら非国民だと徹底していたの
でザブトンで一生懸命消してもかなうものではなく、ぼーっと(火が)出てきて。『お母さん』と思っても声が出ない。出口も分からない。私はここで倒れて死ぬ、息が苦しいという時に主人が探しに来た」

火に囲まれ、意識を失いそうになった睦子さん・・・。
睦子さんはこの日について、こう綴っていました。


“薩摩の先祖の地と汗を注ぎ築きし 歴史の国鹿児島も一夜にして変わり果てたり”


この空襲で、2316人の命が失われました。

そして約2カ月後の1945年8月15日、戦争は終わりました。

吉峯睦子さん
「本当に戦争が済んだことが信じられなかった」

睦子さんは戦争が終わってからも変わらず日記を書き続けています。

こんな文章がありました。


“今日も精一杯 悔いのない1日でした”


吉峯睦子さん
「日記だけは書いて、きょうも済んだ、その代わり一日あの世も近くなった。『きょうも無駄にせずありがとうございました』という毎日でないともったいないと思う」
「(戦争のことは)若いうちに聞かないと本当にわからなくなるから。正しいことを教えないと」

美川キャスター
「ちゃんと聞くのも私たち世代の役割ですね」

吉峯睦子さん
「こんなにゆっくり語ることはなかった」


戦後80年。

睦子さんが残した日記には「戦争」と「平和」。その意味と重さが綴られています。

睦子さんが鹿児島大空襲の時につづったページは、よく見てみると次のページにめりこむくらいの筆圧で書かれていて、本当に当時の意思がいまも宿っているようでした。

必死の思いで残された記憶を大切に語り継いでいかなければと思います。

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