「特攻」実写映像 アメリカ公文書館で見つかった零戦と炎上する空母の記録
2026年5月15日(金) 11:50
1943年4月、パプアニューギニアの基地で日本軍が撮影した映像がある。出撃前の訓示を受けたパイロットたちが次々と離陸する姿が映し出されているが、そのフィルムを撮影した機体は直後の戦闘で撃墜された。残骸を調査したアメリカ軍がフィルムを回収し、長年にわたって公文書館に眠り続けた。2026年、戦後81年を迎えたいま、その映像がついに公開された。
アメリカの公文書館から発掘された映像
大分の市民団体「豊の国宇佐市塾」が、アメリカの公文書館から入手した一連の映像が新たに公開された。戦後80年以上が経過した現在も、世に出ていない映像は数多く残されており、今回の公開はその一端を伝えるものだ。入手された映像には、太平洋戦争中の激しい戦闘記録から、県内の空襲の様子まで、当時の現実を生々しく収めた貴重な記録が含まれている。
18歳のパイロットも加わった「特攻」の映像
1944年10月、爆弾を搭載した飛行機をパイロットごと敵艦に体当たりさせる「特攻」が組織的に始まった。公開された映像には、アメリカ軍の空母フランクリンのそばで特攻に失敗した零戦が水柱を上げる場面が捉えられている。その直後、別の特攻機が突入し、フランクリンから爆炎が上がった。さらにもう1機が急接近したが、ぎりぎりのところで急上昇に転じ、新たな目標に据えたのは空母ベローウッドだった。ベローウッドは炎上し、乗組員たちが必死の消火作業にあたる様子も記録されている。
この特攻隊には、旧制出水中学校で学んだ崎田清一等兵曹(18)も含まれていたという。訓示を受けて飛び立ったパイロットたちと同じように、若者たちが戦場へと送り出されていた現実が、映像を通じて改めて浮かび上がる。
沖永良部島、そして薩摩川内市・いちき串木野市への空襲
県内に関わる空襲映像も今回新たに公開された。激戦地・沖縄に近い沖永良部島は、たびたびアメリカ軍機の攻撃を受けた地域だ。映像に収められた知名青年学校の校舎は、撮影後の7月に全焼している。
また、1945年8月10日には現在の薩摩川内市といちき串木野市が標的となった空襲の映像も公開された。機銃弾を撃ち込まれた建物から煙が上がる様子が映し出されている。日本が降伏したのは、この5日後のことだった。
音のない映像が伝えるもの
公開された空襲映像には音が入っていない。それでも、終戦のわずか5日前まで国民が常に死と隣り合わせの状況に置かれていたことを、映像は静かに、しかし確かに記録している。
戦後81年が経ち、戦争を直接知る世代は極めて少なくなった。豊の国宇佐市塾による映像の発掘と公開は、記録が失われる前に過去を可視化し、地域の人々が歴史と向き合う機会をつくる取り組みといえる。音のない映像の中に、当時を生きた人々の姿がある。





















































































































