鹿児島銘菓「かるかん」を守れ 江戸時代から続く、発祥の老舗店 原材料不足を乗り越え「未来は非常に明るい」
2025年10月22日(水) 13:50
鹿児島銘菓のかるかんの話題です。
秋から冬にかけて原料である自然薯が旬を迎えることから、この時期に作られる「かるかん」は”新薯かるかん”と呼ばれています。
かるかんが、よりおいしく感じられる季節なんですが、実はその自然薯の確保が年々厳しくなっていると言います。
歴史ある鹿児島銘菓「かるかん」の今を見つめます。
3年前の南日本新聞。
紙面広告にこんな文字が。
「自然薯、買います」
広告主は、県内の老舗和菓子店「明石屋」。
鹿児島を代表する銘菓「かるかん」発祥の店です。
第11代藩主・島津斉彬から「江戸や大阪に負けない菓子を作ってほしい」という命を受けた明石屋の初代が、鹿児島の良質な自然薯に目をつけ、作ったのが始まりとされています。
その後、餡が入ったかるかん饅頭が登場し、最近では、「焼きかるかん」というアレンジメニューも。
県民にも長年愛されています。
「かるかんが大好きなんです。ひ孫たちも大好きで。『ばあば、かるかんある?』って」
「もっちりしてるよね。お土産は、絶対明石屋で(かるかんを買う)。鹿児島(のかるかん)は有名だし」
かるかんとともに店の歴史を刻んできた明石屋は、なぜ広告を出してまで自然薯を求めたのか?
7代目の岩田英明さんにその背景を聞きました。
明石屋 7代目・岩田英明代表社員 社長
「最終的に(天然の)自然薯は枯渇する方向だろうという」
自然薯、米粉、砂糖だけで作られるかるかん。
原料の一つ自然薯を確保することが難しく、製造が困難になる恐れがあったのです。
自然薯は野山に自生している天然物と人の手により栽培された物に分けられますが、明石屋が特に危機感を持っていたのが天然物の不足です。
収穫は、時に人が入るほどの深さの穴を掘る重労働で、減少の要因として堀り子の高齢化やイノシシなどによる鳥獣被害が考えられています。
材料不足に現場ではどう対応しているのか?
明石家の工場を訪ねました。
この場所で多いときには1日に約2万個のかるかんが作られています。
かるかん饅頭と個包装のかるかんは、生地作りから蒸して包装するまで、すべての工程が1年前からオートメーション化されました。
かるかん作りに携わること30年以上。
製造の責任を担う白井さんも、自然薯の変化を実感しています。
明石屋・白井秀秋生産副本部長
「(今は)天然の自然薯がほとんどないので、そこが全然違うところ。私が入った頃は天然の山芋(自然薯)だけを使っていたので」
自然薯の保管室にも案内してもらいました。
明石屋・白井秀秋生産副本部長
「これが今年入った天然の自然薯です。(入荷量の)目標は下回るかな」
天然の自然薯の入荷量はこの10年で、55トンからわずか5トンにまで減ったそうです。
生産体制の変更も余儀なくされました。
明石屋・白井秀明生産副本部長
「数年前にはかるかん饅頭にも使っていたんですけど、もう入れる量が確保できないので棹ものだけにシフトして、天然物の自然薯は“棹もの”だけ」
天然の自然薯のかつてない不足。
実は約30年前にもかるかんは危機的状況に陥っていました。
鹿児島市を襲った8.6豪雨災害をはじめ、県本土の多くの地域で豪雨による被害が出た1993年。
自然薯が確保できず、翌年はかるかんを作ることができなかったといいます。
そんな中、安定的に自然薯を確保するために明石屋が進めたのが栽培した自然薯の研究でした。
2004年から10年をかけて鹿児島大学と研究を進め、天然物と変わらないクオリティの自然薯の栽培を目指してきました。
明石屋 7代目・岩田英明代表社員社長
「天然物もののクオリティが80点~98点とすると、栽培ものは、だいたいアベレージでいうと90点」
そして、自然薯を求めて出したあの新聞広告。
3年間で20回にわたり掲載するとSNSでも話題になり、県内外から栽培される自然薯の情報が集まったそうです。
明石屋 7代目・岩田英明代表社員社長
「(自然薯が)作付をされている地域は、鹿児島で50%、九州・山口までで75%の作付け。それ以外の地域で25%。関東エリアまで広がっている。その原動力になったのが新聞の広告」
いまでは、原料となる自然薯の約90%が栽培されたものです。
肝となる材料が天然から栽培に変わる中、製造現場では。
明石屋・白井秀明生産副本部長
「栽培の自然薯も、いいものができている。天然物もそうだが、採れた時期、場所によって粘りが違う。そのあたりをうまく使い分けながらブレンドして作る」
鹿児島の郷土菓子として、170年以上親しまれている、かるかん。
原材料の確保という困難と向き合いながら、発祥の店はどんな未来を描いているのでしょうか。
明石屋 7代目・岩田英明代表社員社長
「一言でいうと、非常に明るい。グルテンフリーであること、ヴィーガンでもあるので。そういった意味では、これからの裾野は広いと思っています。かるかんとは真っ向勝負で向き合って、とにかく今売っているものが過去のかるかんよりもおいしい、そういった商品を世に出していきたい」
これからも変わらず人々に親しまれる鹿児島銘菓「かるかん」であり続けるために、様々な状況に対応しながら、おいしさを届ける日々は続きます。
秋から冬にかけて原料である自然薯が旬を迎えることから、この時期に作られる「かるかん」は”新薯かるかん”と呼ばれています。
かるかんが、よりおいしく感じられる季節なんですが、実はその自然薯の確保が年々厳しくなっていると言います。
歴史ある鹿児島銘菓「かるかん」の今を見つめます。
3年前の南日本新聞。
紙面広告にこんな文字が。
「自然薯、買います」
広告主は、県内の老舗和菓子店「明石屋」。
鹿児島を代表する銘菓「かるかん」発祥の店です。
第11代藩主・島津斉彬から「江戸や大阪に負けない菓子を作ってほしい」という命を受けた明石屋の初代が、鹿児島の良質な自然薯に目をつけ、作ったのが始まりとされています。
その後、餡が入ったかるかん饅頭が登場し、最近では、「焼きかるかん」というアレンジメニューも。
県民にも長年愛されています。
「かるかんが大好きなんです。ひ孫たちも大好きで。『ばあば、かるかんある?』って」
「もっちりしてるよね。お土産は、絶対明石屋で(かるかんを買う)。鹿児島(のかるかん)は有名だし」
かるかんとともに店の歴史を刻んできた明石屋は、なぜ広告を出してまで自然薯を求めたのか?
7代目の岩田英明さんにその背景を聞きました。
明石屋 7代目・岩田英明代表社員 社長
「最終的に(天然の)自然薯は枯渇する方向だろうという」
自然薯、米粉、砂糖だけで作られるかるかん。
原料の一つ自然薯を確保することが難しく、製造が困難になる恐れがあったのです。
自然薯は野山に自生している天然物と人の手により栽培された物に分けられますが、明石屋が特に危機感を持っていたのが天然物の不足です。
収穫は、時に人が入るほどの深さの穴を掘る重労働で、減少の要因として堀り子の高齢化やイノシシなどによる鳥獣被害が考えられています。
材料不足に現場ではどう対応しているのか?
明石家の工場を訪ねました。
この場所で多いときには1日に約2万個のかるかんが作られています。
かるかん饅頭と個包装のかるかんは、生地作りから蒸して包装するまで、すべての工程が1年前からオートメーション化されました。
かるかん作りに携わること30年以上。
製造の責任を担う白井さんも、自然薯の変化を実感しています。
明石屋・白井秀秋生産副本部長
「(今は)天然の自然薯がほとんどないので、そこが全然違うところ。私が入った頃は天然の山芋(自然薯)だけを使っていたので」
自然薯の保管室にも案内してもらいました。
明石屋・白井秀秋生産副本部長
「これが今年入った天然の自然薯です。(入荷量の)目標は下回るかな」
天然の自然薯の入荷量はこの10年で、55トンからわずか5トンにまで減ったそうです。
生産体制の変更も余儀なくされました。
明石屋・白井秀明生産副本部長
「数年前にはかるかん饅頭にも使っていたんですけど、もう入れる量が確保できないので棹ものだけにシフトして、天然物の自然薯は“棹もの”だけ」
天然の自然薯のかつてない不足。
実は約30年前にもかるかんは危機的状況に陥っていました。
鹿児島市を襲った8.6豪雨災害をはじめ、県本土の多くの地域で豪雨による被害が出た1993年。
自然薯が確保できず、翌年はかるかんを作ることができなかったといいます。
そんな中、安定的に自然薯を確保するために明石屋が進めたのが栽培した自然薯の研究でした。
2004年から10年をかけて鹿児島大学と研究を進め、天然物と変わらないクオリティの自然薯の栽培を目指してきました。
明石屋 7代目・岩田英明代表社員社長
「天然物もののクオリティが80点~98点とすると、栽培ものは、だいたいアベレージでいうと90点」
そして、自然薯を求めて出したあの新聞広告。
3年間で20回にわたり掲載するとSNSでも話題になり、県内外から栽培される自然薯の情報が集まったそうです。
明石屋 7代目・岩田英明代表社員社長
「(自然薯が)作付をされている地域は、鹿児島で50%、九州・山口までで75%の作付け。それ以外の地域で25%。関東エリアまで広がっている。その原動力になったのが新聞の広告」
いまでは、原料となる自然薯の約90%が栽培されたものです。
肝となる材料が天然から栽培に変わる中、製造現場では。
明石屋・白井秀明生産副本部長
「栽培の自然薯も、いいものができている。天然物もそうだが、採れた時期、場所によって粘りが違う。そのあたりをうまく使い分けながらブレンドして作る」
鹿児島の郷土菓子として、170年以上親しまれている、かるかん。
原材料の確保という困難と向き合いながら、発祥の店はどんな未来を描いているのでしょうか。
明石屋 7代目・岩田英明代表社員社長
「一言でいうと、非常に明るい。グルテンフリーであること、ヴィーガンでもあるので。そういった意味では、これからの裾野は広いと思っています。かるかんとは真っ向勝負で向き合って、とにかく今売っているものが過去のかるかんよりもおいしい、そういった商品を世に出していきたい」
これからも変わらず人々に親しまれる鹿児島銘菓「かるかん」であり続けるために、様々な状況に対応しながら、おいしさを届ける日々は続きます。