「特攻が伝わっていない地域がある」戦後77年・戦争の記憶引き継ぐ29歳女性 鹿児島
2022年8月15日19:45

終戦から77年となる2022年、戦争を経験した人々の高齢化が進む中、その記憶をどのように継承していくかを模索する29歳の女性が鹿児島市にいます。終戦の日となる8月15日、この重い課題を女性とともに考えます。
肝付友美さん「日本が戦争していたことを、若い人は知識としては知っているけれど、そこに思いをはせる機会がなかなかないのが現実だと思う」
鹿児島市で開催された「戦争を語り継ぐ集い」で語るのは、鹿児島市の肝付友美さん。29歳です。
戦争を語り継ぐ集いは戦争体験者の生の声を聞いて次の世代に継承しようと考える有志によって、ほぼ毎月開催されています。
肝付さんは2021年からこの活動をサポートしていて、戦争体験者から聞いた話や県内の戦跡をインスタグラムに投稿しては、戦争の記憶を発信しています。
肝付さん「私が戦争について考えるきっかけは、明確なものがなくて、いろいろな人と触れ合う中で、自分の中の気づきと言いますか、戦争を体験した人がだんだん少なくなる中で、残された私たちは戦争について想像することしかできなくなることを危惧していて、今のうちから考えて行動していくことが大切だと思っています」
その取り組みをSNSで続けているうちに同じ志を持つ同世代の友達ができました。
埼玉県に住む篠崎亜緒衣さん、23歳です。
篠崎さんは、鹿児島と埼玉では戦争の記憶を伝えていこうとする熱意に大きな差があると話します。
篠崎亜緒衣さん「(埼玉では)平和学習自体もほぼないと言っても過言ではないので、それをどうやって学校に取り入れてもらえるかなっていう、ゼロスタートだなっていうところが難しいところですかね」
肝付さん「じゃあ小学生もきっかけがないですね」
篠崎さん「全くないですね。私自身、特攻隊という存在を大学生になるまで知らなくて、映画を見て知ったので」
特攻という歴史的事実が子供たちに伝わっていない地域が、日本にはある…。
それは、肝付さんには衝撃的な話でした。
肝付さん「ここまで平和学習に地域差が出てくるということは、今後埼玉の人みたいに学習機会が奪われることが増えていって、やはり、伝えられないことや継承されないことが危惧されますよね」
篠崎さん「そうですね。実際に起こり始めていることでもあるので、早急に何とかしないと、というところはあります」
肝付さんは特攻について改めて知ろうと、南九州市知覧町へ向かいました。
軍指定食堂だった富屋食堂が当時の場所に復元されています。ここでは死を目前にして悩み、苦しみ、そして無理矢理明るくしていた特攻隊員たちの悲しいエピソードがいくつも紹介されています。
肝付さん「言葉もないです。ただただ胸が痛くて」
富屋食堂を切り盛りしていた鳥濱トメさんは特攻隊員のお母さん代わりとなってその世話に尽くしました。特攻隊員の数々のエピソードは、トメさんが家族に語り継いだことで私たちに残されました。
肝付さん「今、こうやって私が感じられるよう形に残して伝えようとしてきてくれた皆さんがあるからこそ、戦争を全く知らない私がこの事実を知ることができたんだなと思って」
トメさんを通じて後世に残されている特攻隊員たちのエピソード。残さなければならない、伝えなければならない。思いを改めて強くします。
肝付さん「きょう来させていただいた富屋食堂だったり、場所だったり、実際の生の声を聞く機会を設けるだけでも、全然違うと思うんです。触れる機会をどんどん設けていけたらと思います」
戦争を知らない世代が戦争の記憶を人々につなぐ。そのためにはどうすればよいのか、明確な解答はまだ、肝付さんにもありません。
ただ、その記憶を知ろうとする姿勢、知ろうとする努力を、29歳の肝付さんは持ち続けようとしています。
肝付友美さん「日本が戦争していたことを、若い人は知識としては知っているけれど、そこに思いをはせる機会がなかなかないのが現実だと思う」
鹿児島市で開催された「戦争を語り継ぐ集い」で語るのは、鹿児島市の肝付友美さん。29歳です。
戦争を語り継ぐ集いは戦争体験者の生の声を聞いて次の世代に継承しようと考える有志によって、ほぼ毎月開催されています。
肝付さんは2021年からこの活動をサポートしていて、戦争体験者から聞いた話や県内の戦跡をインスタグラムに投稿しては、戦争の記憶を発信しています。
肝付さん「私が戦争について考えるきっかけは、明確なものがなくて、いろいろな人と触れ合う中で、自分の中の気づきと言いますか、戦争を体験した人がだんだん少なくなる中で、残された私たちは戦争について想像することしかできなくなることを危惧していて、今のうちから考えて行動していくことが大切だと思っています」
その取り組みをSNSで続けているうちに同じ志を持つ同世代の友達ができました。
埼玉県に住む篠崎亜緒衣さん、23歳です。
篠崎さんは、鹿児島と埼玉では戦争の記憶を伝えていこうとする熱意に大きな差があると話します。
篠崎亜緒衣さん「(埼玉では)平和学習自体もほぼないと言っても過言ではないので、それをどうやって学校に取り入れてもらえるかなっていう、ゼロスタートだなっていうところが難しいところですかね」
肝付さん「じゃあ小学生もきっかけがないですね」
篠崎さん「全くないですね。私自身、特攻隊という存在を大学生になるまで知らなくて、映画を見て知ったので」
特攻という歴史的事実が子供たちに伝わっていない地域が、日本にはある…。
それは、肝付さんには衝撃的な話でした。
肝付さん「ここまで平和学習に地域差が出てくるということは、今後埼玉の人みたいに学習機会が奪われることが増えていって、やはり、伝えられないことや継承されないことが危惧されますよね」
篠崎さん「そうですね。実際に起こり始めていることでもあるので、早急に何とかしないと、というところはあります」
肝付さんは特攻について改めて知ろうと、南九州市知覧町へ向かいました。
軍指定食堂だった富屋食堂が当時の場所に復元されています。ここでは死を目前にして悩み、苦しみ、そして無理矢理明るくしていた特攻隊員たちの悲しいエピソードがいくつも紹介されています。
肝付さん「言葉もないです。ただただ胸が痛くて」
富屋食堂を切り盛りしていた鳥濱トメさんは特攻隊員のお母さん代わりとなってその世話に尽くしました。特攻隊員の数々のエピソードは、トメさんが家族に語り継いだことで私たちに残されました。
肝付さん「今、こうやって私が感じられるよう形に残して伝えようとしてきてくれた皆さんがあるからこそ、戦争を全く知らない私がこの事実を知ることができたんだなと思って」
トメさんを通じて後世に残されている特攻隊員たちのエピソード。残さなければならない、伝えなければならない。思いを改めて強くします。
肝付さん「きょう来させていただいた富屋食堂だったり、場所だったり、実際の生の声を聞く機会を設けるだけでも、全然違うと思うんです。触れる機会をどんどん設けていけたらと思います」
戦争を知らない世代が戦争の記憶を人々につなぐ。そのためにはどうすればよいのか、明確な解答はまだ、肝付さんにもありません。
ただ、その記憶を知ろうとする姿勢、知ろうとする努力を、29歳の肝付さんは持ち続けようとしています。