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「ただいまという声を聞きたい」北朝鮮による拉致から44年 帰国信じる鹿児島の被害者家族

2022年8月17日(水) 21:00

市川修一さんと増元るみ子さんが鹿児島県日置市の吹上浜で北朝鮮に拉致されてから2022年で44年となりました。鹿児島で、家族の帰りを待ち続ける市川修一さんの兄・健一さんは、これまで期待と失望のはざまで揺れながら、今も弟の修一さんが帰ってくることを強く信じています。事件発生から44年、改めて拉致問題について考えます。

2022年8月12日。鹿児島県日置市、吹上浜近くの県道です。

市川健一さん「拉致問題を忘れないでください」

北朝鮮の拉致被害者家族・市川健一さんが道行く車に情報提供を求めました。

1978年8月12日、市川修一さん(当時23)と増元るみ子さん(当時24)は、夕日を見に訪れた鹿児島県日置市の吹上浜で北朝鮮に拉致されました。

弟を取り戻すー。

市川さんの兄・健一さんら拉致被害者家族は1996年に家族会を設立。署名活動や講演会を行い、政府に一刻も早い拉致被害者の奪還を訴えてきました。

「拉致問題の進展がなければ国交正常化交渉には入れませんから」。

2002年、当時の小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問し、金正日総書記(当時)と首脳会談を行いました。

北朝鮮は拉致の事実を認め、拉致被害者5人が帰国。歴史が大きく動いた瞬間でした。

しかし、市川修一さんや増元るみ子さんを含む8人は「死亡」と通告されました。

当時、市川健一さんは会見で涙ながらにこう訴えました。

「両親、本当に高齢なんです。心配なんです。どのように伝えていいか分かりません」

市川さんの実家は当時、現在の鹿屋市輝北町でスーパーを営んでいました。健一さんが「相手の言うことを信じたって」と話すと、レジで店番をしていた父親の平(たいら)さんが「生きてるかな?」と一言。すかさず健一さんは「絶対生きてるよ!」と強い口調で返しました。

2022年8月、仏壇の遺影で父・平さんと母・トミさんが微笑む実家で鹿児島テレビの取材に応じた市川健一さんはあの時をこう振り返ります。

市川健一さん
「いろんな報告があったが全部矛盾点があって。確信を持ちましたから、生存しているんだって。だから必ずや、近い将来帰国を果たすんじゃないかと、そういう期待を大きく持ちましたよね」

トップ同士の対話で実現した一部の拉致被害者の帰国。

市川さんが再び期待を募らせたのはそれから約20年後。

安倍晋三首相(当時)「あらゆる支援を惜しまないと力強い支持をいただきました」

安倍元首相とアメリカのトランプ前大統領の取り組みです。

拉致問題解決に向けて「条件をつけずに首脳会談を行う」としてきた安倍元首相。
そして、トランプ前大統領は北朝鮮の金正恩総書記とも面会を果たしました。

市川健一さん「トランプ大統領は、拉致問題解決を迫ったんですよね。金正恩総書記が安倍首相に会ってもいいという肯定的な態度を示してくれたんですよ。あの時はものすごく期待しましたよ」

しかし、安倍元首相と金総書記との首脳会談は実現せず、2020年、安倍氏が退陣。翌年、トランプ前大統領もバイデン氏に敗れました。

市川健一さん「なかなかチャンスというのは巡ってこないんですよね。そのチャンスを逃したのは大きかったですよね」

この間、新型コロナの感染が広がり、市川さんたちは署名活動や講演会の自粛を余儀なくされました。

一方で北朝鮮は、弾道ミサイルの発射実験を活発に行い、国際社会からの孤立を深めています。

一見するとネガティブな方向に進行しているかに思えるこの状況ですが、市川さんはあえて前向きに望みをつないでいます。

市川健一さん「北朝鮮はなんでこんな蛮行をやるのかなと思いはありましたが、北朝鮮が何か動けばまたアメリカとの米朝首脳会談につながっていくんじゃないかと」

2022年5月にはバイデン大統領と初めて面会に臨んだ市川さん。

その後の会見で市川さんは「大統領、力をお貸しくださいというのが精いっぱいでした」と話しました。

市川さんの自宅に300を超えるカエルの置物が並んでいます。

「修一さんが早く“カエって”きますように」とこれまでの講演会などで贈られたものです。

市川健一さん「今こういう先の見えない状況の中でも、ある日突然ぱっと開けるかもしれない。それを信じて闘っていく決意でいる」

2022年8月12日。

新型コロナの影響で、市川さんが吹上浜で呼びかけを行ったのは3年ぶりです。

市川さん「拉致を忘れないでください」
車内で呼びかけを聞いた人「今ちょうど話しながら来ていた」

拉致された修一さんの写真は44年前のままですが、弟の帰りを待ちわびる健一さんは77歳になりました。

期待と失望のはざまで揺れ続けた44年、健一さんは涙ながらに弟への思いを話しました。

市川健一さん「弟に会いたいですよね。『ただいま』という声を聞きたいです」

突然、家族を奪われ今なお世界と向き合い続けなければならない人たちがいることから私たちは目を背けてはなりません。

修一さんに「お帰り」と言える日が来ることを信じて、市川さんは世界に訴え続けます。

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